芳心院(ほうしんいん、? - 文化5年閏6月7日(1808年7月29日))は、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の側室。父は旗本の木村重勇。名は美尾、八十、筆など。

生涯

旗本の木村重勇の娘として生まれる。

寛政5年1月1日(1791年7月28日)、大奥に入りお筆と呼ばれる。享和2年7月5日(1802年)に男児を死産し、翌3年12月10日(1803年)に家斉の第19子で十一女の浅姫(越前福井藩第12代藩主松平斉承室)を出産。

文化5年(1808年)閏6月7日、病を患い桜田御用屋敷で療養、同所で没した。墓所は東京都文京区の伝通院。戒名は芳心院殿柔順蓮蘂大姉。

脚注


将軍家斉の側室が創建おねだりの「感応寺」!大奥からの長持に潜んだ「奥女中が寺で僧と密会」し廃寺に! 好奇心散歩考古学

【東京・八重洲】徳川家康の側室、お万の方(養珠院)と於満稲荷神社の歴史 YouTube

芳心院墓所

【大奥】徳川将軍家の側室たち〜10代将軍家治から15代慶喜まで〜 YouTube

芳心寺について 日蓮宗 大寳山 芳心寺