1968年の広島東洋カープでは、1968年の広島東洋カープの動向についてまとめる。

この年の広島東洋カープは、根本陸夫監督の1年目のシーズンである。

概要

東洋工業(現・マツダ)社長の松田恒次が筆頭株主かつオーナーに、恒次の長男で東洋工業副社長の松田耕平がオーナー代行に、監督が根本陸夫になりチーム名が広島東洋カープに改称されたこの年、チームは前年V3の巨人が開幕からもたついたこともあり、6月まで巨人と首位を争った。しかし夏場に12連敗を喫したこともあり阪神に抜かれて3位に転落したが、球団創設以来19年目で初のAクラスとなった。Aクラス入りの原動力となった投手陣は安仁屋宗八・外木場義郎が共に20勝をあげ、開幕投手の大石弥太郎や白石静生などもそれなりの成績を収めた。打撃陣では若手の手本となるべく、阪神から山内一弘を無償トレードで獲得。山内は全盛期こそ過ぎたものの根本監督の期待に応えて21本塁打を打ち、開幕から3番あるいは4番を打って山本一義や衣笠祥雄とともにAクラス入りに貢献した。この年オフのドラフト会議で1975年の初優勝メンバーである法政大学の山本浩二をドラフト1位で、同じく中央大学の水沼四郎をドラフト2位でそれぞれ獲得するなど、世代交代が急加速していく。

チーム成績

レギュラーシーズン


選手・スタッフ

オールスターゲーム1968

表彰選手

ドラフト

脚注

出典


1981年 広島東洋カープ『選手名鑑』 YouTube

1980年 広島東洋カープ「選手名鑑」 YouTube

1975年 広島東洋カープ『選手名鑑』 YouTube

1968年の広島東洋カープ JapaneseClass.jp

1981年 広島東洋カープ「選手名鑑」 YouTube