毛利 高定(もうり たかさだ)は、江戸時代前期の武士。豊後佐伯藩の家門、のち旗本。
経歴
佐伯藩初代藩主・毛利高政の次男、庶子。慶長17年(1612年)父とともに前将軍・徳川家康に御目見し、江戸在府料として月俸70口を付される(元和4年(1618年)帰国)。
寛永10年(1633年)異母兄の2代藩主・高成が急死すると、その嫡男・高直が4歳と幼かったため、高成の叔父・吉安に後継として擁立された。しかし翌年に幕府は高直の相続を正統と認めたため、高定は佐伯藩を去って旗本に転じ、書院番300俵となった。延宝5年(1677年)家督を次男・高信に譲り、元禄元年(1689年)87歳で没。
脚注
参考文献
- 大分県総務部総務課 編『大分県史 近世篇』 1巻、大分県、1983年。
- 梅木幸吉『佐伯文庫の研究』1989年。
- 『寛政重修諸家譜』 17巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0221-5。


![[情報] 安芸高田市 毛利元就公銅像 揭幕 看板 WarringState Mo PTT 鄉公所](https://pbs.twimg.com/media/GSlPL2cbIAIgG52.jpg)