応仁おうにん旧字体:應仁)は、日本の元号の一つ。文正の後、文明の前。1467年から1469年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。

改元

  • 文正2年3月5日(ユリウス暦1467年4月9日) 戦乱により改元
  • 応仁3年4月28日(ユリウス暦1469年6月8日) 文明に改元

出典

『維城典訓』の「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」から。

応仁期におきた出来事

  • 元年5月26日(1467年) - 細川勝元派が山名持豊派を襲撃し(上京の戦い)、応仁の乱が始まる。文明9年11月20日(ユリウス暦1477年12月25日)まで。

出生

  • 2年(1468年) - 宇都宮成綱、守護大名・戦国大名、下野宇都宮氏第17代当主(永正13年死去)

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

関連項目


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