ジェームズ・ティモシー・マッカーバー(James Timothy "Tim" McCarver, 1941年10月16日 - 2023年2月16日)はアメリカ合衆国・テネシー州メンフィス出身のプロ野球選手(捕手)、MLBの解説者。右投左打。
経歴
現役時代
1959年にセントルイス・カージナルスと契約してプロ入り。この年の9月10日に17歳でメジャーデビュー。
1963年から正捕手となり打率.289、翌1964年のニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは23打数11安打5打点、第5戦で延長10回に決勝3点本塁打を放つ。第7戦では本盗も決めた。1966年には20世紀の捕手では唯一の最多三塁打(13本)を記録。1967年も打率.295・14本塁打・69打点で優勝に貢献し、MVP投票で次点に食い込んだ。
1969年のオフにディック・アレン他1名とのトレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍した。このトレードでカージナルスが放出したのはマッカーバーの他カート・フラッドら計4名だった。フラッドは「保留条項は反トラスト法に違反する」として移籍を拒否した上でMLBのコミッショナーボウイ・キューン相手に訴訟を起こしている。
2度目のフィラデルフィア・フィリーズ在籍時、1970年代後半当時の正捕手はボブ・ブーンだったが、カージナルス時代からバッテリーを組んでいた大親友のスティーブ・カールトンの登板時には必ずマスクを被った。1979年限りで一旦引退したが、翌1980年に6試合のみ出場し、4ディケード選手の仲間入りをした。
引退後
引退後は解説者となり、フィリーズ(1980年 - 1982年)、ニューヨーク・メッツ(1983年 - 1998年)、ニューヨーク・ヤンキース(1999年 - 2001年)、サンフランシスコ・ジャイアンツ(2002年)と各球団で専属の解説者を務めた。全米ネットではABC(1984年 - 1989年、1994年 - 1995年)、CBS(1990年 - 1993年)、FOX(1996年 - 2013年)で出演しており、ワールドシリーズの全国放送で計24回解説を担当していた。
2012年には「野球放送における殿堂入り」にあたる、フォード・C・フリック賞を受賞した。
2023年2月16日、テネシー州メンフィスの自宅にて心不全の為死去。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰・記録
- MLBオールスターゲーム選出:2回(1966年、1967年)
背番号
- 51(1959年)
- 9(1960年)
- 20(1961年)
- 15(1963年 - 1969年、1973年 - 1974年途中)
- 6(1970年 - 1972年途中)
- 2(1972年途中 - 同年終了)
- 33(1974年途中 - 1975年途中)
- 11(1975年途中 - 1980年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 M
- フォード・C・フリック賞
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 公式サイト (英語)
- Baseball Hall of Fame ? Frick Award recipient(英語)




