エイシンロンバードEishin Lombard、2002年5月6日 - )は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2007年の武蔵野ステークス。

馬名は、冠名の「エイシン」とサンフランシスコにあるロンバード・ストリートの「ロンバード」が由来となっている。

経歴

競走馬時代

2004年10月10日に京都競馬場で行われた2歳新馬戦でデビューするが、単勝5番人気で5着だった。このレースではスズカフェニックスが単勝1.3倍と圧倒的な1番人気に支持されていたが9着という結果に終わっている。翌週に連闘で挑んだ2歳未勝利戦で勝利し、デビュー2戦目で初勝利を挙げる。年が明けた2005年は3歳500万下を勝利するのに5戦を要し、その5戦目でメルシーエイタイムらを相手に勝利し2勝目を挙げた。この後2連敗するも、大井競馬場で行われた'05メトロポリタンノベンバーカップに出走し2着。年内はその後2戦したが勝利することはなかった。

2006年は上半期から連戦するも勝ち切れないレースが続き、8走目の相模特別(1000万下)を制しようやく3勝目を挙げる。続く栂尾特別(1000万下)で3着、魚沼特別(1000万下)ではアロンダイトに敗れたが2着となった。2007年、2月28日の湯浅三郎厩舎の定年解散に伴い3月1日から小崎憲厩舎に転厩となり、この年3走目の立川特別(1000万下)では、デビュー以来初めて1番人気に支持されるが4着だった。その次走は5着だったが、4月の青梅特別(1000万下)を制し4勝目を挙げた。しかし昇級初戦の立夏ステークス(1600万下)では1番人気に支持されたが12着という結果に終わった。続く香港ジョッキークラブトロフィー(1600万下)では、前走の惨敗による低評価を覆し勝利、29戦目でようやくオープン馬となった。重賞初挑戦となったマーキュリーカップでは2番人気で3着、阿蘇ステークスでは1番人気に支持されたが5着だった。そして10月27日の武蔵野ステークスは雨の不良馬場で行われ、人気も9番人気と高くなかったが、レースでは見事な逃げ切りで重賞初勝利を挙げた。次走は第8回ジャパンカップダートに出走するものの13着だった。

2008年、門松ステークスに出走するが8着、続く根岸ステークスでは12着、さらに次走はフェブラリーステークスに出走登録を行ったが除外されて栄進牧場久世育成センターへ放牧に出された。放牧を終えて5月29日に帰厩し、7月21日のマーキュリーカップに出走、13着と大敗した。2009年は交流重賞の佐賀記念から始動したが、7着に敗れた。続く仁川ステークスでは13着と大敗した。その後は障害競走にも挑戦したが、11着に敗れている。休養を終えて2010年5月23日の東海ステークスで復帰。中団追走も直線で失速し15着とシンガリ負けを喫した。レース後の5月26日付けでJRA競走馬登録を抹消。笠松競馬に移籍し、再デビュー戦で勝ったものの、この1戦のみで現役を引退した。

引退後

2012年12月より愛知県のアオイ乗馬クラブで功労馬繋養展示事業の助成対象馬として繋養されていた。2020年8月10日より同クラブで乗用となり、展示事業の助成対象から外された。

競走成績

血統表


脚注

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post
  • エイシンロンバード(USA) - 競走馬のふるさと案内所
  • エイシンロンバード - 引退名馬(名馬.jp)

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