久野 工(ひさの たくみ、1874年〈明治7年〉11月10日 - 1960年〈昭和35年〉6月3日)は、日本の海軍軍人、実業家、政治家。神奈川県横須賀市長。海軍主計中将正四位勲二等。
経歴・人物
旧土佐藩士・久野克記と母・亀の長男として高知県土佐郡久万村(初月村を経て現・高知市)に生まれ、1922年(大正11年)家督を相続する。1891年(明治24年)高知県尋常中学海南学校(現・高知県立高知小津高等学校)を経て、明治法律学校2年修了。
1896年(明治29年)海軍少主計候補生を命ぜられ、佐世保海兵団附、佐世保鎮守府監督部附を経て、1905年(明治38年)海軍主計少監に進む。ついで、英国出張(鹿島回航委員)に赴き、1910年(明治43年)造船造兵監督会計官に任官すると、英国へ再度赴任し、1912年(明治45年)帰朝する。
1913年(大正2年)12月に海軍省経理局員兼海軍経理学校教官に任じ、1914年(大正3年)12月に海軍主計大監に進む。ついで、経理局第二課長、同局主席局員、同局第一課長を歴任し、1919年(大正8年)12月に海軍主計少将に進み、軍令部に出仕し経理局第一課長事務取扱となる。さらに、舞鶴経理部長、横須賀経理部長を経て、1923年(大正12年)12月1日、海軍主計中将に進級と同時に軍令部に出仕し、同月10日待命仰せつけられ、翌年の1924年(大正13年)1月に予備役編入となった。
のち民間に転じ、高知鉄道や藤永田造船所の重役を務め、1938年(昭和13年)9月に推挙され横須賀市長に就任。1941年(昭和16年)1月に退任した。
戦後、公職追放を受けた。
1960年(昭和35年)6月3日、没。85歳。墓所は神奈川県藤沢市および高知市小高坂山。
伝記
- 山口立 編『海軍主計中将久野工』久野登久子、1990年。
親族
- 長女:知子(高千穂学校長・川田鉄弥の次男、正清に嫁ぐ)
- 岳父:森田伊織(高知県多額納税者、農業)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124。
- 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1229896。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。
- 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276156。



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