安藤 定殻(あんどう さだみ/さだよし)は、江戸時代中期の旗本・茶人。『寛政重修諸家譜』は諱を定穀としている。通称は岩之丞、大膳、治右衛門。号は鶯渓、翼々庵(斎)。阿久和安藤家6代。
略歴
安藤定房の子として誕生。父・定房と共に茶道南坊流の笠原道桂に師事した。寛保3年(1743年)に父が没し家督を継ぐが、父の最晩年に起きた圧政による農民の駕籠訴事件で蟄居となった。延享元年(1744年)3月11日田原藩4代藩主・三宅康高に南坊録を書写させた。
寛延2年(1749年)、43歳で没した。墓所は早稲田・龍善寺。
系譜
- 父:安藤定房(1672-1743)
- 母:大久保忠兼娘
- 室:土井利良の娘
- 生母不明の子女
- 女子:水野元丈室
- 男子:安藤正甫(1732-1790)
参考文献
- 日本人名大辞典(講談社)
- 定房' わがまち瀬谷第30号(平成22年7月発行)
- 寛政重修諸家譜第17




