宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の、元プロ野球選手及び元競輪選手。1972年及び競輪時代の登録名は宮本 孝雄(読み同じ)。
来歴・人物
竜ヶ崎第一高校ではエース。切れのいいカーブを武器とした本格派。コントロールがあとひと息といわれているが、主将で四番を打ちバッティングも高く評価されていた。1968年ドラフト会議で 東映フライヤーズから3位指名を受け入団。ポジションは投手。1972年の登録名は宮本 孝雄。1972年に引退。
その後、競輪選手に転身。日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。日本競輪学校第35期生で、同期には中野浩一らがいる。なお、競輪選手登録名は宮本 孝雄である。1975年5月3日、取手競輪場でデビューし、初勝利も同日。1976年の全日本新人王戦で決勝進出(4着)の実績がある他、日本選手権競輪に8回出場するなど、1983年頃までは特別競輪(現在のGI)に常時出場機会を得ていた。2001年7月31日選手登録削除。通算戦績2065戦202勝。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板・初先発登板:1970年4月29日、対西鉄ライオンズ5回戦(後楽園球場)、2回1失点で勝敗つかず
背番号
- 14 (1969年 - 1971年)
- 41 (1972年)
登録名
- 宮本 孝男 (みやもと たかお、1969年 - 1971年)
- 宮本 孝雄 (みやもと たかお、1972年)
関連項目
- 茨城県出身の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
外部リンク
- 通算戦績 - KEIRIN.JP
- ケイリン徒然草 プロ野球出身者は競輪で大スターになれるか - リアルライブ 2008年12月3日付記事




